大阪地方裁判所 昭和36年(わ)5744号 判決 1966年2月19日
主文
被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和二六年四月以来大阪府議会議員をしているものであるが、昭和三五年九月ころ、東京都中央区銀座西八丁目四番地文芸春秋新社に宛て、同社が編輯発刊する月刊雑誌「文芸春秋」に掲載さすため「外遊はもうかりまつせ大阪府会滑稽譚三谷秀治(大阪府議会議員)」と題し大阪府議会議員の行状を記載した文中に同議会議員実野作雄が昭和三〇年三月アメリカへ公務出張旅行をした際出張日程を繰り上げ帰国して出張旅費を不正利得した事実がないのに『アメリカとは熱海なり? 実田作夫という自由党の議員がアメリカ視察に出発したのはそれから程なくだつた。これも議会では「グズ作」といわれる愚鈍な男であつたが、南大阪一帯の大地主であつた祖父伝来の威光で、四期も議員稼業を重ねていた。吃りで発言障害をもつたこの男は、議長や副議長から締め出されている埋め合せに、アメリカ視察の権利を獲得したのである。私はこのときも、危惧の念を強くもつた。日本語を喋ることさえ容易でない「グズ作」が英語をあやつることなどは夢にも及びもつかぬことであつた。いつたいどうしてこの旅程をたどることができるのか。しかし彼は一向に頓着なく準備をすすめた。
年はとつても、さすが激しい選挙戦で敵を打ちとつて当選してきた勇士だけに「グズ作」先生は、いささかも辟易するところなかつた。彼は万歳の声に送られて大阪駅を出発した。それから十日間あまりして、私は東京のある会議に出席した帰途友人と熱海に下りた。土地不案内な私は議員たちがしばしば口にする旅館の名をうろ覚えに探しあてて漸く一泊することになつた。早めに夕食を済ますと、旅の疲れですぐ床についた。何時間経つた頃かフト眼が覚めた。友人は鼾をかいて寝こんでいる。時計を見ると夜明けにはまだよほど時間があつた。私は起上ると一風呂浴びにでかけた。寝しずまつた旅館は森閑として、浴槽に湯の落ちる音が、かすかにした。裸になつて浴室に飛びこんだ私はそこに一人の先客を見出して吃驚した。私がはいりこむのと相手がこちらを振り向くのと同時だつた。双方が思わずアツと叫ぶところだつた。それは目下アメリカ旅行中の実田作夫先生であつたからである。「イイイ、いやア」彼は一瞬ギヨツとした風だつたがすぐにつくり笑いを浮べて失敗つたというように頭をかいた。こともあろうに、うるさい相手と顔を合せたという表情だつた。実際私も驚いた。「サササ、サンフランシスコまで行きましてん。セセせやけど、それから先はどうにも動きがとれまへんわ。ナナなにしろ乗つて行つた飛行機から降ろされたら心細うて、泣きとうおました。モモモ、そう欲も得もおまへんわ。一晩中まんじりともせず明かしました。ともかく、ジヤジヤ、ジヤパントーキヨウ、ジヤパントーキヨウと念仏みたいにくり返して、漸く飛行機に積みこんで貰いましたわ、トト東京の灯り見たとき、わいはほんまに生きとんのや思うたら、涙がポロポロこぼれましたわ。ほんまに」さて、東京まで帰つてはきたか、そのまま大阪にも帰るわけにもいかんので、熱海に潜んで、出張命令の期日の経つのを、指名犯人のようにひつそりと待つているのだ。私は赤い鼻頭を湯気で光らせた実田作夫の困りきつた顔を見ながら、あきれてものも言えなかつた。「タタ、頼んますよつてに、誰にも言わんとおくんなはれや」哀願するように眼をしばたく実田作夫に接していると気の毒といえば気の毒だが、はじめからわかりきつたことではないかという反撥もおきた。赤眼を剥いて出張争いをした揚句がこれである。これを黙つて見逃すわけにはいくまい。「困りましたなア」と私は不愛想に言つた。「セセ、せやけど、わいだけやおまへんわ。ま言うたら慣例みたいなもんだ」と実田作夫は顔を歪めて泣きべそを掻いた。「なるほど」と私はうなずいた。私は迂濶にも、この種のカラクリを今日まで知らなかつたのだ。臼田光二にしても、この手をつかつたことは間違いない。そこのところだけはかくしていたのだ。しかし、古株のボス議員の仲間では公然の秘密であるらしいのである。私は自分の人の好さにいささか腹を立てた。実田作夫は四十日間の出張命令をうけていた。飛行機賃は勿論別途支給になつている。日当宿泊料だけで八〇万円の金を懐に入れている。熱海の宿で二〇日間寝ておつても一〇万円あればことは足りる。差引き七〇万円の稼ぎというわけだ。それにしてもがめつい話ではないか。それをいまさら黙認してくれというのは虫の好い話だ。「税金泥棒の共犯者になつてたまるか」と私は思い黙然と湯槽から立上つた。「見えすいた大ボラ」やがて開かれる本会議に、海外旅行禁止案をもちこもうと資料を集めていると、実田作夫が旅行日程を了えて悠々と帰つてきた。歓乎の声に迎えられて、凱旋将軍のように駅頭に降り立つた実田先生は四〇余日にわたる全日程を寧日なくアメリカ各地の産業、経済、文化、行政各般の視察に忙殺されて裨益するところきわめて甚大であり、今後の府政の発展に寄与するところ大なるものがある。と吃りながら一席ぶつたという話を聴いて、私はあいた口がふさがらなかつた。ぶつ方もぶつ方だが、それをまた真に受けて、感嘆これ久しゆうする方もいい面の皮だ。(中略)熱海の湯で、湯焼けしたその顔貌もまた米州各国の多忙な視察旅行の苦難の跡を示すかのごとく、住民大衆には迎えられたことであろう。そしてその面皮をはぎとつて住民の前にあきらかにしてやらねばならないという正義感めいたものにかられたのだ。私はあわてて資料の整理にとりかかつた。その夜遅く、実田作夫がひよつこり私の家に顔を出した「ココ今晩は」と彼は吃りながら、今朝帰阪したと挨拶して、アメリカ土産という包物を差し出した。私がこのようなものを貰ういわれがないことを述べて辞退すると彼は何を遠慮するかと気色ばみ土産を残して戸外に飛び出してしまつた。間もなく疾走する自動車の音が聞えた。サンフランシスコのエアーステーションで一晩中まんじりともせず夜を明かした実田が土産物まで買い整えてきたとは思えないから、東京あたりで外国製品の安物を買い漁つて配つているに違いかなつた。ひよつとすると現金で三万円ぐらいはしのばせているかも知れない。いずれにしても、さわらぬ神に祟りなしというところだ。私は翌日使いのものに土産物を托して実田作夫のところに屈けさした。二三日経つて実田の歓迎報告会が議会で催された。私も出席して、何を喋るかと好奇心をもつて末席で眼を光らせていた。実田は相変らず吃りながら米州の各地を経巡つてきた苦心談を語り、なかんずくワシントンやニユーヨークの市長や知事と会食して懇談する機会をもつたことは、望外の喜びであつたと語つた。私は狐につままれたような気がした。熱海の宿で会つた男は実は実田作夫ではなかつたのではないかと自分に反問してみたほどである。それにしても私を眼の前に置いて、平然と見え透いた大ボラを吹いている実田作夫という男が私にはまつたく不可解であつた。私はいささか毒気に当てられたようになつて、コツソリ会場から遁れ出た。控室に帰つてくるといつの間に屈けられたのか返した筈の実田作夫からの土産がちやんと届いていた。私は「こんなもので殺されてたまるか」とばかりそれを鷲づかみにして、実田の属する控室にとびこんだ。実田はそこにまだ帰つていなかつた。私はそれを投げつけるようにテーブルの上に置き捨てて「二度とこんなもの持つて来たら承知せん」と控室の事務員に言い残して退庁した。私が自宅の玄関に入るのと実田作夫の車が表に止るのと殆ど同時だつた。彼は私の姿を見出すと、相好を崩して笑つた「ワワ悪うおました」と彼は言つた。「キキ君がアメリカ嫌いやいうことを、ワワ忘れとりました。ス済んまへん、ココこれは純粋のメメ、メイド・イン、ジヤパンだ。これはほんのわいの気持だけだすよつてに、受取つておくんなはれ」そう言つて彼は、長四角型の小さい箱を応接の机の上に乗せた。貴金属かなにかの感じだつた。この男と私の感覚はどこかで食い違つていた。彼は、あるいはこれで節目を通し、順序を踏んで仁義をつくしている心算かも知れない。だから当然これで話はつくべきものだという感覚なのである。これが「議員道徳」と称するものであるらしい。「そんな道徳なんて糞くらえだ」と私は思つた。そして、私はとうとう顔を硬ばらせて、実田に品物を押し返した。「こんなものを貰うわけはない、こんなもので殺したり殺されたりするのは私は御免や」「ソソそんな殺生な」と実田作夫は頭の天辺からしぼりだすような声を出した。「お互に議員同士でんがな」お互の弱身をかばいあい住民の前をつくろうことが議員同士の誼ではないか、と実田は言いたいのであろう。私が突き放すように拒絶すると実田作夫は頭を掻き、いまにも泣き出しそうに顔を歪めた。そしてくどくどと哀願の言葉を繰り返しはじめたのである。』と恰かも右実田作夫が前記府会議員実野作雄を知る一般読者をして、同人であることを推知させるような同人の経歴、性向等を内容とし、かつ同人が前記アメリカ出張の際、出張日程を繰り上げて帰国し多額の出張旅費を不正利得した旨虚偽の事実を記載した原稿を郵送し、文芸春秋新社編集兼発行人田川博一をして右原稿を原文のまま月刊雑誌「文芸春秋」第三九巻第一号に掲載させ、昭和三五年一二月一〇日ころ、東京都千代田区九段一丁目七番地東京出版販売株式会社などにより前記「文芸春秋」六一万八千部を広く一般読者に販売させ、もつて公然事実を摘示して実野作雄の名誉を毀損したものである。
(証拠の説明)(省略)
(弁護人の主張に対する判断)
一、本件公訴は刑事訴訟法第二五六条第六項に違反し、同法第三三八条第四項により棄却されるべきであると主張するが、この点についてはすでに昭和三八年二月二七日、当裁判所の決定があり、これと同意見で付言することはなく、殊に当裁判所は昭和四〇年五月七日の第一九回公判から裁判官がかわり当時すでに証拠物をはじめ被告人の検察官に対する供述調書を除く、殆どの証拠が提出されていたもので、弁護人のこの点の主張は問題にはならない。
二、本件公訴事実は公務員である大阪府会議員実野作雄に関する事実にかかることであるから刑法第二三〇条ノ二第三項により事実の真実であることの証明があり罰せられるべきでないと主張する。すなわち本篇作品の主人公実田作夫は、アメリカ出張の際、出張日程を繰り上げて帰国し、「出張旅費を不正利得」したことがテーマであり、これに対し実野作雄府会議員が昭和三〇年三月アメリカ出張したのは金扇金網株式会社社員という資格でありこれは公務ではないとの疑いがあるのみならず、大阪府知事から委嘱を受けてシヤトル市で開催された見本市に出席し、アメリカの市場調査という目的で、シヤトル、シカゴ、ニユーヨーク、ワシントン、ロスアンゼルス、サンフランシスコ、ホノルルの各都市を巡つているのであるが、証人実野作雄の証言によれば、文教政策、社会政策を視察してまわつた旨述べており要するに実野府議は、金扇金網株式会社社員であるというように身分を偽つてアメリカへ出張し、大阪府知事の委嘱以外の私的な見聞を広めるために、公費を用いてシヤトル市以外の各地を旅行したということが証拠上明白である。従つて実野府議がアメリカ旅行の際「出張旅費を不正利得した」という事実について証明があるというのであるが、実野府議が渡航手続上金扇金網株式会社社員の資格でアメリカ出張し、その主張のとおりの旅行をしたことは明らかである。しかし、金扇金網株式会社社員の資格でアメリカ出張したことが公務にならないか又はシヤトル市の見本市に出席した以外のアメリカ各地を回つたことが公務でないかの判断は暫らくおき本篇作品の実田作夫が「出張旅費を不正利得した」のは出張日程を繰り上げて帰国する方法によつたもので、本件において事実証明の問題で重要と認められる眼目の事実は「出張日程を繰り上げて帰国する方法により出張旅費を不正利得した」ことであり、実野府議は事務局の作成してくれた日程に従いアメリカ各地をまわつてきたもので、同府議が出張日程を繰り上げて帰国したと認める証拠はなく、弁護人のこの点の主張は採用できない。
(情状)
被告人が本篇を含む本件作品を執筆した動機は、被告人主張のとおり殊更、実野作雄府会議員個人を誹謗しようとした積極的悪意によるものではなかつたことはこれを認めることができ当時の浴場汚職、議長選挙の汚職又は物見遊山的外遊等大阪府会議員の一連の腐敗行為に対する批判的世論を高めようとしたことが、その意図するところであつたことは十分窺え、その犯情はさほど悪質なものとは言えないが出版物の世間に対する影響は大きく、実存の府会議員を作品の主人公にしたことは個人の名誉を重じなければならぬ現在軽卒のそしりを免れない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二三〇条第一項罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するところ諸般の情状を考量し所定刑中罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲内で、被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処し、被告人において、右罰金を完納することができないときは刑法第一八条を適用して金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人の負担とする。
よつて主文のとおり判決する。